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卒業生インタビュー
vol.16

現在、多治見市の工房を拠点に活動されている横山拓也さん。
魅力的な器を数多く制作され、個展を中心に各地でご活躍される横山さんに、陶芸との出会いから現在に至るまで、そして作品づくりについてお話しを伺いました。


 

□多治見市に来られたきっかけは何ですか。

僕は美術系の大学ではなく、普通の大学を出たんですが、僕の通った立教大学には陶芸部っていうサークルがあったんですよ。それで、陶芸部にいた時からこれを仕事にしたいなと思っていました。でも、どうやって仕事にしたらいいのか分からず、例えば有名な陶芸家に弟子入りするとか、色々と調べていました。それでたまたま何かの本で、自治体がやっている陶芸を教えてくれる施設があるのを知っ たんです。常滑と、京都の陶工訓練校と、それから意匠研と。意匠研がどういうところとかって情報は特にないまま、3つとも受験したんですけれど…。3つとも落ちて(笑)。
そうしたら、入所式の2週間くらい前に欠員が出たってことで、東京のバイト先に中島先生から電話 かかってきて、「あ、じゃあ、行きます」っていう感じで来ました。


□大学のサークルではどの様な活動をされていましたか。

特に理由があって陶芸部に入ったわけではないんです。同じ高校出身の友達と大学をフラフラしていたら、たまたま陶芸部を見つけて。まぁ、ここでのんびりしてればいいかって軽い気持ちで入部しました。本当に何の理由もなしに入ったんですけれど、そこで「あ、なんか陶芸ってすごく面白いな」って、夢中になってしまって。当時、専門的なことは全然わからなかったので、なんとなく桃山の抹茶碗を真似したり、益子に近かったので、民芸的な器を作ったりしていました。とりあえず雑誌とかを見ながら、色々とやっていましたね。いつも友達と2人で授業にも出ず、本当に毎日朝から晩まで陶芸部にいました。

 

□サークル活動を続けられている間に、専門的に勉強して仕事にされることを意識されたんですね。

いや、それは割と早い段階で。大学の1 年生くらいの時から考えていました。入学式の時に、大学に8 年間いた陶芸部の先輩が京都に行かれるから、みんなでお別れっていうところにたまたま出くわしたんです。そこで、あの人どうするんですかって訊ねたら、「これから京都に行って本職になる から」と。それが陶工訓練校っていうところだったんですけれど。
そこで、なんとなく「そっか…」って。あの時に感じた気持ちは、ずっとぶれないまま。なので、就職活動は一回もしたことがないです。

 

□かなり早い段階に陶芸でやっていくみたいな決意があったんですね。

そうですね。ただ、やっていくんだという固い決意ではなかったんです。僕が大学生の時はバックパッカーが流行っていまして。あの当時はまだ日本の経済も強かったので、貧乏旅行で若者がこぞってインドとか東南アジアとかに旅行した時代で。僕もバックパッカーをやっていたわけですが、なんとなく陶芸を仕事にしたいなとは思っていました。でも、もしダメだったら卒業後は世界一周でもするか、くらいに思っていました。


□意匠研に入所されたことで、何か心境の変化ってありましたか。

それは結構明確に変わりましたね。これからは陶芸を仕事にするんだって考えて。プロになるんだから、まず意識は変えなきゃいけない。それから自分の作風みたいなものがないと、世には出ていけないんじゃないか、だから人と同じことしていてはダメなんじゃないかなって、そういう感じにはなりましたね。

 

□研究生時代を振り返っていかがですか。

これは僕の感じ方ですけれど、たまたまなのか、僕も含めて何かこう「やってやるぞ」っていう雰囲気がありましたね。もしかしたら、身の丈以上に生意気だったのかもしれないですけれど。
僕には明確にありました。

 

□作風を確立していくきっかけはどの様なものでしたか。

今から思うと、責任を引き受けたことが大きかったのかな。本当に単純な話、自分の作ったものに不具合があった時、例えば飲み物が染みちゃったとか、どこか欠けちゃったとか。じゃあ、そうしないためにはどうしたらいいんだろうって考えて、細かいところから1つ1つ自分で作り上げていけたことが大きかったんだと思います。
もちろん、僕は器を作っているので、必ず誰か使う人がいる。だから、ちゃんとした質を届けなきゃいけない。独りよがりになると、やっぱりダメになってしまう。だから、かっこよく言えば作ることの責任なんですけど…。

 

□制作に対する考え方が作品に大きな影響を与えたんですね。

そうですね。僕はこうやって仕事として制作しているので。単に作り続けているのではなくて、これで暮らして行かなきゃならない。やめたら終わっちゃう。だから、こういうことを表現したいってよりも、仕事って意識の方が大きいですね。場所がなければ自分の仕事は成り立たないので。野球選手とかでもそうですけど、いくらプレーしたくても雇ってくれるチームがなければ試合には出られない ことと同じですよね。だから、あんまり作家とか、なんかそういう感じの意識はないんです。

 

□普段はどの様なペースで制作されていますか。

普通ですよ。朝9時か10時にはここに来て、仕事して、7時か8時には家に帰ります。最近は年に5回くらい展示をして、その間に注文分を作ったりしています。

 

□各地で個展されていますよね。

そうですね。例えば、このお店の雰囲気は自分の作風に合わないだとか、そういうのは全然気にしていなくて、どこへでも行きますね。最近は個展で色々な所に行って、そこに温泉旅行とかを合わせています。この間も佐賀に行ってきたんですけれど、そのあと2日か3日くらいは嬉野温泉という所に。 ずーっと酒飲んで、温泉に入っていました(笑)。

 

□粉引の作品に昔のアルバイト経験が活かされていると伺ったのですが。

そんなにですよ。別に、あまり…。


□そうなんですね。それでは制作される中でのことですか。

そうですね、やりながら。でも、その時も特にこうやりたいっていうのが先にあったわけではないんです。普通にやっていてもダメだよな、じゃあ、こうやってみようかな、これだったらこうやってみようかなって。
僕の場合、できたものが綺麗かどうかよりも、これはあんまり見たことないなとか、これを進めて行けば誰かの作品と並べた時にこの人のだって分かってもらえるんじゃないかな、って考えています。これなら誰かと同じって言われないかもしれないなと。

 

□横山さんの作品に陶芸の伝統的な佇まいと、モダンな雰囲気って言えばいいですかね…、その両方を感じるのですが、制作される時に何か意識されていることはありますか。

特にモダンっていうことを意識したわけではないんですけれど…。
少し前に講談師で人間国宝の神田松鯉先生が、「芸とはどれだけ情を伝えられるかが大切なんだ」みたいなことを仰られているのを聞いたんです。それは例えば、赤穂義士伝に出てくる赤穂浪士たちの色んな感情を、講談っていう芸を通して伝える事なのかなと。
それで、僕が扱う素材にもやっぱりその素材の感情っていうものがある様な気がするんです。素材の 感情を伝えるためには、どういうやり方がいいのか。小田和正みたいな声に生まれた人が、ヘヴィメタルを歌っていたら、なんかちょっと違うじゃないですか(笑)。


□素材の感情を汲み取ることが重要なんですね。

そうですね。僕はそれをただ引き出しているだけであって、僕自身の思っていることとはあまり関係 がないんです。
音楽でも、その人特有の音色ってあるじゃないですか。それで、自分の音色を出すためにはどういたらいいんだろうか。例えば、ジャズトランペッターのマイルス・デイビスが、ディジー・ガレスピーとかチャーリー・パーカーに憧れていたけれど、確か唇が厚くて2人みたいに速く吹くことができなかった。だから、ゆったりとした情感というか、そういう方向性に変えて、そこから自分のサウンドをどんどん手に入れていったみたいに。
それはすごく共感できるんです。できないことと、できることって、別にどっちがネガティブとか、ポジティブじゃなくて、単に2つ、差異でしかない。だから、できないことの中から見れば、色んな可能性が見えてくるんです。できないことの中から幅を広げていける。
常に自分の作品を見て、これだったら、こういうのだったら、もっとこうできるかなとか…。なんか、そういうのは、素材の中に深く入っていくって感じですよね。表面でこうってよりかは、なんかこう、深く入っていって、もっと…って。


□20年以上、多治見で制作されていますが環境はいかがですか。

近くに原料屋さんとか窯屋さん、研究所とかがあって。ピンチになった時にすぐに相談できる場所があるのはありがたいです。何かがダメになったり、原料とかが生産されなくなったりした時に、それを復旧するまでの時間は短いほうが良いですよね。営業停止状態が続くと、死活問題になってしまう。
だから、インフラが整っているのは、すごく話が早いなって思います。


□今後の展望はありますか。

今後は…、このまま続けていきたい。もっとより良いものを作りたいっていう、それだけです。


□最後にishoken の後輩にメッセージをお願いします。

僕が研究所にいた時、色々な授業をサボってしまい…。今になってあれをきちんとやっておけば良かった、あの技法が使えれば今はもっと幅が広がっていたのに、と後悔することが多々あります。
今は必要なかったり、興味なかったりすることでも、後になって必要になったり、思わぬところで制作のヒントになったりするので、引き出しをたくさん作っておけば、5年後や10年後に必ず役に立つ時が来ると思うんです。
研究所は、他の学校に比べると色々な技法や知識を学べる貴重な場所だと思いますので、とりあえず出された課題には全て前向きに取り組んでおくのがいいのかなと思います。これは自分への反省です。


(2020年2月取材)