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卒業生インタビュー vol.14田中 陽子
第8期 セラミックス・ラボコース卒業生


多治見市陶磁器意匠研究所のセラミックスラボで1年学んだ後、多治見市内の工房で制作に励む陶芸家の田中陽子さん。 2014年の国際陶磁器展美濃で坂﨑重雄セラミックス賞を受賞されています。 卒業してから現在までと今後の展開について、2018年1月から始まるグループ展の準備で忙しい中お話をうかがいました。


□普段はどのようなペースで制作をされていますか?

最近はいつも朝来て1日工房にいます。午前中は新しいモノのことを考えて、午後は作業をし始めるという感じですかね。 展示会の予定があれば展示会に向けて作品を作ったり、注文があると窯の予定を立てて、それに向けて作ったりとか。 個展をさせてもらうようになってからは、1日中体を動かして何かを作っていたのを止めて、少し手を休めて考える時間を作るようになりました。スケッチをして試作をしたり、土をいじって考える時間をとっています。


□年間スケジュールはどのようなペースで制作をされていますか?

個展はまだそんなに多くはないんですけど、年間2、3回。その間にグループ展とかがあったりして。展示会の時期はまだ自分で選べなくて、声をかけていただいたものに向けて動くような感じです。


□この多治見の工房に来て何年ですか?

卒業した年に入ったから、2011年からですね。今年で丸6年経ちました。


□少し前に遡りますが、田中さんは神奈川県のご出身で、美術大学で環境デザインを専攻されていたんですよね。「やきもの」を始められたきっかけは何ですか?

大学では環境デザインを専攻していました。卒業後も1年間、設計事務所でアルバイトをしながら空間デザインをしていたのですが、もう少し自分が入り込める仕事をしたいなと。 そんな時に高級フレンチのお店に行く機会があって、そこで洋食器と出会ったんです。白くて、この素材何だろうって、それが磁器との初めての出会いでした。シェフの盛り付けがすごく素敵で、器と料理の関係というか、1枚の磁器の皿に広がっている世界が、その時の私にはとても新鮮で、この白い板皿を作れる人になりたいなと思ったんですよ。それで縁あって瑞浪の洋食器メーカーに就職しました。 最初はデザイナー志望でしたね。


□一度就職をした後、陶磁器意匠研究所で勉強したいと思われた理由についてうかがえますか?

メーカーで営業をしていたのですが1年経って、自分がなりたかったデザイナーには即戦力としてなれる感じがしなかったんです。即戦力になるために勉強をしようと思ってセラテクノ土岐の伝習生になりました。 そこで鋳込みとかロクロを勉強して、デザイナーとしての就職活動もしながら過ごしていました。作家志望の先輩の「自分のモノをつくらなきゃいけない」という考え方がとても面白くて。それと、日根野作造さんの資料なんかを見ているうちに、デザイナーと作家の中間点みたいなものが見えてきた。 その頃に、意匠研の研究生が見学に来て、その人達がとにかく楽しそうで。彼らと話す中で「セラミックスラボという1年のコースが意匠研にあるよ。」と教えてもらって。まだ自分一人でやっていく自信がなかったし仲間が欲しいと思っていたので、1年勉強できる陶磁器意匠研究所のセラミックスラボに入ろう!と思って受験しました。


□セラミックスラボで1年勉強されましたが、仲間や環境を含めどんな印象でしたか?

デザインコース、技術コースを修了後そのまま3年目で上がってきた2人と一緒のクラスで私を含めて3人のクラスでした。 最初に会った4月から、2人の意識がとても高くて。この1年をどう過ごし、卒業後どうするのかということを、入った4月から突きつけられた気がして実際にすごく焦りました。私は型とか鋳込みの技術を持っているけど、作ったモノの質が低いとかね。 作家になるには「個」を持つことがすごく大事だと思うんです。人それぞれの良さを自分のブランディングも含めて3人の中で考える。2人との出会いは、私にとって自分自身のことを考える良い機会となりました。


□作品を制作するにあたって何かイメージみたいなものが発想の原点にあったりするのでしょうか?

原点は、最初に話したフレンチレストランで見た白い磁器の皿との出会いですね。 意匠研では、自分に合う素材を探すためにいろいろ研究して、自分の素材を見つけました。私は白い素地に透明感のある素材に出会い、その素材感でやっていこうという決意を具体的に卒業制作展で形にしました。 「私はこれなんだ」というのを意匠研で作りながら見つけましたね。


□セラテクノ土岐の伝習生として、先輩と2人で勉強していた頃と比べると人が多く感じたんじゃないですか?

そうですね。研究生みんなが超個性的で、なんじゃここは!という環境で、最初はすごくどうしようと思いました。 「内側から膨らむ形が好き」という話しを聞いてその人の作品を見ると、本当にそうだなと思ったり、でも自分とはちょっと違うなと思ったり。前期制作展では、自分ができるモノはこれなんだと作品を通して自覚できました。日々感じる、他者との違いに刺激を受ける中で、入って半年という早い段階で、展示会を通して自分の作品を客観的に見られたのが良かったです。 そこからもっと頑張りたいと思ったし、先生方がスケジュールや技術的な相談など、ギリギリまで親身に応えてくれて、本当に良い環境で勉強できているなと思いました。


□今は作家として、フレンチレストランで見た量産のお皿とはまた違うアプローチで制作されていますよね。

そうですね。実際に作る中で、この方が面白いかもと自分の中で揺れながら作っています。 良いと思ったのはなぜだろうとか、土のちょっとした味だったり、焼成による自然なゆがみとか。失敗に入るのかもしれないけれど、一人でやっているから見つめられる、なぜ惹かれるんだろう?みたいなことに耳を傾けるようになりましたね。


□陶磁器意匠研究所を修了されてからはどのように活動されて来たのですか?

最初はアルバイトをしながら、一緒に卒業した意匠研の仲間と多治見のお祭りで作品を出したり、レストランの注文を受けたりしていました。それ以外はコンペ※に出したりもしていましたね。その頃は入選ばかりで、特に審査員のコメントを受けることもなく、手応えがなくて。2014年に国際陶磁器展美濃に出して、坂﨑重雄セラミックス賞が取れた時に、初めてギャラリーさんから声が掛かり2015年に個展をさせていただきました。


□2014年の国際陶磁器展美濃で坂﨑重雄セラミックス賞を受賞したことにどんな意味があったのでしょうか?

私の作品を見ていてくれた人がいたんだと思ったのと、個展のお話をいただけたことで、自分の作家活動に対する意識が変わりました。 自分のするべき仕事というのを意識し始めましたね。振り返ってみると、大きな転機になったと思います。 国際陶磁器展美濃に挑戦して本当に良かったです。


「硝子皿」国際陶磁器展美濃'14 坂﨑重雄セラミックス賞(2014)

□今後の展開、方向として何か目指すものがあるのでしょうか?

最近ようやく、挑戦したいことや、やりたいことが見えてきたんです。 意匠研で見つけた「白い素地に透明感のある素材」をテーマとした作品と、自分の原点である「レストランの食器の仕事」を行ったり来たりしながら、自分にしか出来ないことをしっかり見つめて仕事をしたいなと。 作品をみて、田中陽子の作品だとわかってもらえる作家になれたらいいなと思っています。


□現在、陶磁器意匠研究所で学ぶ後輩たちに伝えたいことはありますか?

意匠研を卒業してしまうと、会う人は仕事の仲間だったりするんです。研究所にいる時みたいに、平たく何気ない作品のことや自分のものづくりについてすぐ隣で話しを聞いてくれる人や、本当に親身に相談にのってくれる先生って、卒業したら毎日すぐ隣にはいないんです。 作品に打ち込んで作んなきゃとなった時に、悩みも出てきて相談とかしたくなる。卒業制作でやっと気づいたりするけど、早くからもっと人と話しをしておけば良かったと思うんですよね。どんどん作品制作に打ち込んで、親身に話せる人に出会ってほしいです。 意匠研の仲間というのは特別だと思いますね。                    


(2017年12月取材)