CONTACT

ENGLISH

卒業生インタビュー vol.13若杉 聖子
第44期 技術コース卒業生


国内外での作品発表で注目される女性陶芸家、若杉聖子さん。鋳込み技法で作られる白磁の作品は、繊細かつ凛とした独自の世界を見せてくれます。様々な関わりの中から、その世界を広げてゆく若杉さんの活動についてお話を伺いました。


□美術館の展示や個展など、活躍されていますね。今日は個展(京都 六々堂)の会場にお邪魔しているのですが、最近の活動についてお話を聞かせて下さい。

今は個展を定期的に依頼されているギャラリーがいくつかあって、年に7、8回、グループ展を入れたら年間10回くらいの展覧会をしています。あとは京都精華大学の陶芸コースで非常勤講師の仕事をしています。


□若杉さんは多治見市意匠研究所(以下、本誌中では「意匠研」と表記します)卒業から10年が経ちます。制作の上で近頃、変化してきた事は何かありますか?

5年前に美濃から兵庫県三田市に拠点を移したのが精神的な転機だったと思うのですが、以前はとにかく手を動かすことで自分らしさが生まれると思っていたので、どんどん石膏を削って作品をつくっていました。それが、自然豊かで静かな環境に移り住んで、自分自身と向き合ってゆっくり時間をかけて作品を作るようになりました。

最近はさらにそこで少し立ち止って、旅の記憶とか、モノの歴史…ヒトを関わることを大切にして制作をする様になっている気がします。

□そんな考え方の変化が具体的に現れた作品はありますか?

例えば、台湾でお茶のもてなしに感動して作り始めた茶道具があります。決まりごとが多く、なんとなく作っていては全く使えない道具になってしまうので、お茶の先生にアドバイスをいただきながら制作を進めました。そこから煎茶のことにも興味が湧き、世界がひろがりましたね。


□異素材とのコラボレーションにも取り組まれているそうですね。

異素材を使ってみることは長年やってみたかったことなんです。私の生まれ故郷である富山県には能作という錫の鋳造を得意とする会社があって、私の仕事(磁器の鋳込み)に社長が興味を持ってくださり、デザインのお仕事をいただけることになりました。私の原型を元にシリコン型をおこしていただき、錫の茶托を制作しました。

あとは、去年、「融合する工芸」という展覧会に参加しました。竹工芸、蒔絵、截金(きりかね)ガラス、乾漆と白磁の作家5人によるコラボレーション展だったのですが、未知の素材に向き合い、どうすれば一緒に一つの作品を作ることが可能かを探っていく過程は非常に勉強になりました。

人それぞれ工芸との関わり方が違うことを理解し、共同作業をさせていただくなかで、作家としての考え方と人生を見せていただいた事は、私自身の今後についてあらためて考える機会になりました。作家は孤独ですが、こんなに楽しい展覧会もあるのだと、関わることができたという経験は宝物です。


□ここで少し話が変わりますが、若杉さんがやきものを始めたきっかけは何だったのですか?

2歳まで富山で育って、父親が転勤族だった事もあり、その後はあちこち引越をしました。正月になる度に富山に帰って、おじいちゃんが生きていた時までは、全員そろって、蔵から古いやきものを出して、お膳を出して、みんなでご飯を食べましょうって、そういう習慣だったんです。
古いやきものとか工芸品が身近にあったので、子供心にそういう事に興味が湧いたんだろうなって思います。


□それで大学から陶芸を専攻されたんですね。

はい。近畿大学で4年間、陶芸を一通り勉強しました。
初めは絵付けに興味を持っていて、大阪市東洋陶磁美術館には良く行きました。手びねりも結構好きでしたね。「鋳込み」は大学卒業後に滞在した、信楽の陶芸の森で教えてもらいました。ロクロも好きですが、一瞬でカタチが決まっちゃうじゃないですか…。それよりも、ゆっくりと石膏原型を削る事ができる鋳込みは、自分の制作のスピードに合っているんだと思います。


□意匠研を目指す様になったのはいつですか?

大学1年生の時に愛知県陶磁資料館で「現代陶芸の若き旗手たち」という展覧会を見て、やきもののオブジェを見て衝撃を受けたんです。本当に忘れられない展覧会でした。意匠研の存在はその時の作家の方々の経歴のなかで知りました。
その後陶芸の森で、その展覧会に出品されていた中島晴美先生と出会って、それで意匠研に行きたいって思ったんです。


□そういう出会いがあったんですね。もう若杉さんも意匠研を卒業してから10年以上が経つ訳ですが、作家を今まで続けていられる理由は何だと思いますか?

理由は特に意識したことはありませんが、純粋にやきものが好きだからでしょうかね…。
あとは、意匠研卒業後に一度美濃焼の陶磁器メーカーに就職したのですが、その経験が私にとって大きいです。自分が作りたいものをただ作るだけではなく、必要とされる物を作りたいと思ったのかな…。

使いやすさや用途という事は、結局は「優しさ」や「思いやり」という事なのだと思うのですが、そういった事を仕事を通して学びました。だから美濃に行ったのは良かったと思うし、意匠研の教え方ってスゴク自分には合っていたと感じています。そんなに真面目な生徒じゃなかったですけど(笑)。


□大学での非常勤講師もされていますね。若い学生のみなさんにはどんな事を伝えたいですか?

私自身が失敗から多くのことを学んできたので、失敗からの試行錯誤を楽しんで欲しいです。

あとは、個性が必要だと思うんです。誰かと似たようなことを追いかけてもつまらない。やきものの表現にはまだまだ誰もやっていない可能性があると思うので。

もう一つ、私はなるべく若いうちにたくさん海外に行けば良かったいう後悔があるので、どんどん海外に出てほしいと思うんです。いろいろな奨学金があるんですが、ボーダーラインが35歳と設定されていることが多いので、ぜひ若いうちにチャレンジして欲しいです。


□似た様な話になりますが、最後に意匠研の後輩たちに伝えたい事はありますか?

意匠研は卒業生にも活躍している人が多くて、私も周りにそういう先輩達がいたって言うのが大きかったです。

「下手な物は作れないな」って意識はありました(笑)。だから機会があれば積極的に交流を持っていただきたいです。


(2014年取材)