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卒業生インタビュー vol.10高橋 生華
第44期デザインコース卒業生
第1期セラミックス・ラボ卒業生


多治見市陶磁器意匠研究所のデザインコースから第1期セラミックスラボへ進み、卒業後はフリーランスの陶磁器作家として多治見で活動を続けている高橋生華さん。 意匠研究所の卒業制作から現在まで同じテーマを追求し、2008年には第8回国際陶磁器展美濃で審査員特別賞を受賞されました。 卒業してから今までと、今後の展開について、お話を伺いました。


□普段はどのようなペースでお仕事をされているのですか?また、具体的にはどのようなお仕事をされているのか教えてください。

毎日決まった時間から仕事を始めています。一人きりで仕事をしているので、だらだらしないように、タイムテーブルを作り時間を決めて作業をするようにしています。年間のスケジュールを自分で決めるということはなくて、お仕事をいただいたらそれにお応えするという感じですね。 仕事の内容としては、展覧会に出品するのと、ギャラリーやショップ、作品を取り扱っていただいているお店からの注文にお応えするという2本です。


□意匠研究所時代、仲間とか周囲の環境も含めてどんな感じでしたか?

入所して1年目は、自分が何を作りたいのか全く見えなかったのです。作っても自分のスタイルというのが見つからなかったし、作っていて手応えがなかったのですよ。 2年生になって卒業制作に取り組むようになって、ようやく自分らしいものが何かというのがわかって、とたんに制作が楽しくなりました。周りの皆がすごく頑張っていたのを覚えています。朝早くから夜遅くまで制作にうち込む姿勢は見習いましたね。 怠けていると負けてしまう、おいていかれてしまうのだなという気持ちはいつもありました。



春の茶器(2012)


□高橋さんはセラミックスラボ(以降ラボ)の1期生でもありますよね。もう1年残って勉強したいと思ったのは、デザインというより、もっと造形表現に近いことを勉強したかったからですか?

いえ、ラボの時はずっとデザイン。卒業後もデザインの仕事をしたいと思っていましたし。デザインコース時代にあまりしっかり勉強していなかったということもあって、もっと勉強しないと足りないなと思いました。


□実際にラボに入ってどうでしたか?進んで良かったですか?

はい、もちろん進んで良かったです。 ラボでは、ただものを作れるだけでは駄目なのだ、ということをすごく感じました。デザインコースの時はもっと腕を磨かなくてはとか、もっと上手く作れるようにならなくてはとか、技術的なことばかり考えていました。ラボでは、社会人になるための事までいろいろと教えてもらいましたし、プレゼンテーションとか、自分の言葉でどう伝えるかとか。あと、市場での作品の見せ方も大事なのだと教えていただきました。しっかり勉強出来たというには1年では足りないとは思いました。でも、これから何を勉強しなければいけないのかが見えてきましたから。


□卒業後の話を聞きたいのですが。ラボを出てから就職せずに、フリーランスのクリエーターとして今までやって来られていますが、卒業してから今までの流れを教えてください。

卒業したての頃は、すぐに制作活動には入れなかったのです。場所もないし、設備もないし。少しずつ自分の作業をできるスペースを整えて作品を作るようになって。それをコンペ※に出すようにしていましたね。最初の頃は全然かすりもしなかったのですが、出していくうちに入選くらいはできるようになって。入選すると大きい展示会に出していただけるので、その展示をみてギャラリーからお誘いをいただき企画展に参加させてもらえるようになって。それが百貨店との取引や個展のお誘いにつながるようになりました。 ※ コンペティション


□転機は、第8回国際陶磁器展美濃で審査員特別賞を受賞した辺りからですか?

コンペに出し始めた頃は、自分で作品の方向性を考えて、作品の行き先は自分で決めていました。でも、展示会のお誘いが来ると、最初から行き先の決まった作品を作るようになるし、お金もいただける訳ですから。その辺りから、もうちょっと自分の作品に対して、責任を持ってちゃんとやろうかなと。それで、やきものを作る環境が整っている多治見に移ろうと思って。多治見に移る事は自分なりに覚悟があったように思います。 丁度、その時に賞を取れたのですよ。受賞して初めて作家として認められたと感じました。今思えば確かに、2008年のフェスティバルの頃が転機だったような気がします。



ぽんぽん菊・菊・蓮・牡丹・たんぽぽの器(2011)


□次に、作品について聞かせてください。ポットとカップ、蓋物が高橋さんの代表的な作品だと思いますが、鋳込みという技法を選んで制作をする理由を教えてください。

私にとっては、石膏で原型を作る段階がとても重要なのです。造形の中に曖昧なラインがあるというのは、私の中ではありえなくて。作品を作る前には必ず原型の製図を引くのですが、その時点で、形状のラインとか比率とか取手の位置なんかを、すごく吟味しますね。


□石膏型で鋳込む場合、1つの型から何個くらい作るのですか?

だいたい50個くらい作っていると、その形の駄目な所が見えてくるので、また一から作り直しています。


□ということは、今あるポットとか蓋物は何回もマイナーチェンジを重ねているということですか?

そうですね。ポットは卒業制作展の作品が初代なので、もう何回目だろう、10回以上は原型から作り直しています。蓋物もラボの時からだから5回以上は直しているかな。他の人が見たら、何も変わっていないと思うような、些細な直しなのですが。鋳込み方を変えるだけとかもあって。


□すごいですね!卒業制作展から10回以上もマイナーチェンジを重ねているなんて。それは、お客様に言われて直すのか、自分で気付くのかどんな感じなんでしょうか?

やはり自分で気付くことの方が多いですね。作っている時はベストを尽くしているつもりでも、展示されている場所に立って作品を遠くから眺めたりすると、あそこを直したいとか。何度直しを入れてもきりがなくて。 きっとこれからも自分が納得いくまで卒業制作の作品のマイナーチェンジを続けていくのだと思います。


□鋳込みというより原型が大事ということですが、鋳込みの面白さや可能性について感じることはありますか?

研究生の頃は、鋳込みというのは量産の手段として考えていたのですが、デザインコース1年から2年にあがる春休みにヨーロッパの窯を巡る旅に行って見方が変わりました。そこで見たやきものは、アートピースに近いようなものを型で作っていたのです。型が手作りの少量生産になってもいいのだと感じてから、花びらのようなピースをぺたぺたと素地に貼るようになり、今の蓋物の作品につながりました。 旅に行った当時は特に何も感じなかったのですが、今になって思うとその旅がすごく作品に影響していますね。見てきたものが、何年もかかってジワジワ表に出て来ている感じというか。


□今後の展開、方向についてはどんなことを考えていますか?

以前はいろいろありました、野望が(笑)。百貨店に出せるようになりたいとか、海外で出せるようになりたいとか、外に向けての事ばかり考えていたのです。 今は、自分の目指しているものの答えは自分の中にあるのだと気付いて。私がひたすら同じ作品のマイナーチェンジを繰り返すのもそんな気持ちから。そういうことを続けているのが、自分らしい作り方なのかなって思っています。


□意匠研究所で見つけたテーマを追求し続けて、現在作家として活躍されている高橋さんですが、最後にこれからやきものを志す人たちに何か伝えたいことはありますか?

私が意匠研究所にいた頃は、周りがみんな同じようなことに興味を持っていて、ワンパターンに感じていました。それが悪いという訳ではなくて、自分には違和感がありました。違うアプローチから追求していきたいと。そういう意味で、旅は普段と違う経験ができますし、いろいろな困難と出会う事が勉強になると思うので、特に海外へ旅に行くのはいいと思います。


(2012年11月取材)