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卒業生インタビュー vol.06浅野 愛民
第41期卒業生


一児の母となった後、作家活動を再開され、6月には復帰後初となる個展を終えられた陶芸家、浅野愛民さん。 日常使いながら洗練された形状の器を幅広い作風で制作されている浅野さんから、母として、作家としての近況と今後の展望をお話ししていただきました。

□6月に開催した銀座松屋での個展を終えての感想を教えて下さい。

先日の個展が出産後初めての展覧会でした。
子供が生後8ヶ月の時に制作を再開したので、そこから約1年かけて個展の準備をしました。
それまでは制作が追い込みになってくると、寝る事以外は全て自分の作業の時間として使っていたのですが、今回からは常に子供がいたので、自分の時間を作る事自体が大変でした。 ですから、何度かは作家として復帰するのが早かったかと思った時もあったのですが、最近ではやっと、前もって計画的に制作を進めることができるようになってきました。


□自分の時間を作る事が大変な中でも作家活動を再開される気持ちになったのですね。

子育てというのがこんなに大変だったとはわからなかったからですね。周りの人たちを見ていると、育児休暇を取らずに仕事に復帰している方が多くいましたし。
8ヶ月だったら十分休暇も取ったと思い、活動を再開したのですが、外に働きに出かけている訳ではないので、子供の事を切り離して考え仕事をするのがなかなか難しい所ですね。


白磁片口 (2008)

銀座松屋での個展の様子



□松屋の個展では沢山の作品を展示されたのですね。何点位あったのですか?

約300点ありました。陶器専門のギャラリーと違って百貨店だと客層も広い為、自分の好きなものだけ作っていても、お店の売り上げにならないというジレンマもあります。その点では百貨店での個展は制作のスタンスが違ってきますね。
私は研究所を卒業してから一度陶磁器メーカーに勤めていたのですが、その以前の若い時だったら受け入れられなかったであろう事も、今では自分の勉強だと思ってやる事ができます。勤めていた時には自分が作りたいものだけではなくて、使い手が求めるもので、なおかつ良いものを作ってきたので、そういった事も大切だと感じていた部分ですし。


□浅野さんは東京のご出身ですが、多治見に来てやきものを始めたきっかけは何ですか?

大学へは希望学科ではなく入学したんです。ですから、当時はずっと虚無感を抱いていました。
偶然同じ大学内にガラスコースがあり、そこの学生は常に課題に追われていて充実して見え、羨ましく思いました。
昔から手を動かす事が好きだったので、『何か夢中になれることを仕事にして行きたい』と思い、途中で大学を辞めました。
その後、近所にあった、陶芸家で研究所の卒業生でもある板橋廣美先生の陶芸教室に通い始めました。それがやきものを始めるきっかけになります。そこには1年位通ったのですが、「本気でやるなら産地に行った方が良いよ。」と先生に言われて美濃に来ました。


□研究所に入所する前には多治見工業高校の専攻科に行っていましたよね。

専攻科に2年間通いました。卒業間近に制作が本当に面白くなってきて、もっと勉強したいなという気持ちが強くなり、意匠研究所に入所しました。入所後、出会った先生方や授業は今の自分にとっても非常に大きなものですね。


□研究所に入所した頃にはすでに公募展で入選していましたよね?

そうですね。入所してすぐ国際陶磁器フェスティバルで入選し、その後すぐ1年の夏頃に朝日陶芸展で入賞しました。


□それでも研究生時代の浅野さんは謙虚でしたね。既に公募展で入賞までしていたのに。

入賞した事を良く理解していなかったですよね。まだまだこれからだと思っていた時期でしたし。公募展が自分の目指す最終的な目標だとは思ってはいなかったです。それよりも、研究所での2年間を一生懸命制作して過ごすぞという気持ちの方がずっと強かったですから。


凛としてたたずみ、洗練されたラインの器



□浅野さんは卒業後、陶磁器メーカーでデザイナーをされていました。研究所の卒業生も多く在籍していて活気のある会社でしたね。

周りに研究所の先輩が多くいましたし、力を発揮できる自由な気風があり、デザイナーを尊重してくれる会社でした。個人の制作もとても応援してくれて、窯もよく貸してもらいましたね。
作家は自らの視点で作品を作っていくのですが、人の目線に立ってモノを見る事を勉強する為にも就職する事は私に必要だと思っています。製品も手作りに近いものが多く、デザインしていく事が楽しかったです。


□浅野さんは作品を制作するにあたって何かイメージみたいなものが発想の原点にあったりするのでしょうか?

料理も好きで、食べる事も好きです。ですから自分が料理を盛りつけて友人をもてなしたりする機会も多くあります。日々の生活の中からどれに盛りつけようかと考えるので、そういった事が私にとっては器を制作する上では重要になっています。


□では、自分自身のニーズがものづくりの原点となっているという訳ですか?

そうですね。食器は大きさがとても重要だと、かつてデザイナーとして勤務していた時に思いました。
ですから、この作品を買った人がああいうモノを盛った時にどうだろうかとイメージしますね。そうすると日常的に使いやすい食器に関してはおのずと寸法がわかってくるので、焼成後のサイズを計算した上で制作します。


□ただ作るだけではなくその先も考えているという事ですね。

そうですね。私の場合は、焼成後の作品は全て、汚れが付きづらくする為に大きな鍋に入れて米糠で煮ています。毎日日常の中で使ってもらう為には、初めに自分でやっておいてから売った方が良いなと思って。
白い器に関しては特に白さが命なので使い始めてすぐ汚れてしまうようでは、次に私の作品をまた買おうという気持ちにならないと思うので。「白い器なのに汚れない、また買おう。」と思って欲しいですからね。そういった事には非常に気を遣っています。


□そこまで親切にやる陶芸家も少ないですよね、やはり女性だから『使う』という事まで考えて制作するのですかね。

例えば、机に傷がつかないように高台の裏をヤスリがけするとか、以前はそれほど気を配っていなかった部分までも非常に気を配ります。


□後輩の研究生達へ何か伝えたい事はありますか?

自由にやって欲しいと思います。
徐々に自分で作品を制作していくと、生活がかかってくる為に、食器である以上売れなきゃいけないとか、こうしなきゃいけないとかの制約がどうしてもかかってきてしまうから。もちろんそれはそれで面白い部分があるのですが。
先日、研究所を訪ねた時に久しぶりに「あぁ、ここはまだみんな自由なんだ。」と思い、自分が凝り固まってきてしまったのではないかと思いましたね。だからどこかでやんちゃな部分をずっと忘れないようにして欲しいです。


□近年は女性が研究所に入ってくる場合が多く、卒業後お子さんを育てながら作家をされているという意味では、浅野さんは、女性が創作活動を続けていける一つの代表的なケースかと思います。今後の展望の様なものは何かありますか?

食器だけではなく『自分の思いを形にする』という事が元々の制作を始めた理由だったので、今後はもう少し創造的な仕事もしていきたいと思っています。自分自身の枠を自分で打破していきたい。
最近は個展ばかりになってきているので、公募展なども積極的に出品していきたいですね。
食器の制作の方は、量産のものでも良い製品が多く出回っていますが、そういった中でも作家として『自分にしかできない器』ということに重点を置いて制作し続けていきたいと思っています。


(2010年9月取材)