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永保寺の文化財

えい ほう じ  かいさん どう つけたり ほうきょういん とう
永保寺開山堂 附 宝篋印塔
紅葉と永保寺開山堂の写真  禅宗寺院では開山を非常に尊び、開山堂を建立してこれをまつります。鎌倉時代には当然造られていたものと思われますが、現存するものでは、永保寺開山堂が最も古いものです。開山堂は、開山の塔(墓)を覆う祠堂と、祭享のための昭堂とからなり、奥の祠堂(内陣)は方一間裳層付の簡素で小規模な建物で、背面の裳層部に元翁本元(仏徳禅師)の墓とされる宝篋印塔があり、その前に夢窓国師と元翁本元の像を安置しています。
 昭堂(外陣)は方三間の堂で、相の間をつくり、祠堂とつないでいます。昭堂は組物に三手先詰組を用い、二軒扇垂木で、方三間の小型仏殿の形をとります。正面三間、側面一間に桟唐戸を開き、側面二間に窓をあけ、いずれも花狭間を入れ、壁で囲まれた暗い空間の祠堂とは反対に、明るくできています。
内部は前後に大虹梁をかけ、中央方一間は大瓶束を立て、二手先詰組をおいて鏡天井とし、周囲は化粧屋根裏で、禅宗様の構架法となっています。また、床は瓦の四半敷となり、いずれも純正唐様の特徴をよく表わしています。
 夢窓国師の没後3年、文和元年(1352)、足利尊氏により建立されたと伝えられていますが、昭堂は 14世紀末か15世紀初の造立ではないかと思われます。なお、昭堂と祠堂の中央間の寸法がわずかながら違っており、昭堂は、祠堂より後にできたのではないかと考えられます。

えい ほう じ かんのん どう
永保寺観音堂
永保寺観音堂正面の写真  観音閣とも水月場ともいい、禅宗の伽藍の中では最も重要な仏殿即ち本殿です。「夢窓年譜」には、正和3年(1314)、夢窓国師が虎渓山に来て1年、40歳のとき建立したと記されています。
 鎌倉円覚寺の舎利殿につぐ鎌倉末期の唐様建築の優れた代表作で、唐様建築の手法に平安朝からつづいた和様建築の手法を折衷させた特殊な建築です。方三間裳層付きですが、前面一間通りは吹き放しとし、床は坐式礼拝ができる拭板式です。桧皮葺の屋根は、伸々として大きな軒ぞりですが、軒裏は四隅に隅木が見えるだけで、垂木を見せない板張りです。桟唐戸はあっても花頭窓はなく、片引戸を多く用いています。また主屋の組物が出組で三手先ではなく、かつ詰組としない点も普通の禅宗仏殿と異なっています。柱間は五寸の整数倍で設計され、中央間と脇間の比も1.5 対1になっていない点は古風ですが、内部中央四本の母屋柱をすべて略し、鏡天井を一面に張っていることや、主屋の脇間と裳層の柱間が同一である点などは新しい方法で、板敷床の存在をあわせ考えると、鎌倉末とするより14世紀末か、15世紀初めに再建されたのではないでしょうか。
 なお、須弥壇の上の岩窟式厨子には、県重要文化財の聖観音菩薩坐像が納められています。

えい ほう じ ていえん
永保寺庭園
 永保寺の開祖・夢窓国師は、中近世の日本庭園の発達に大きく貢献した作庭家としても知られています。永保寺庭園はその代表作の一つであり、中世禅宗寺院の庭園として価値が高いものです。周囲の自然の地形、景観を巧みに利用した夢窓国師の非凡な造園力には驚嘆の外はありません。
 観音堂西の岩山を梵音巌、これにかかる水流を梵音の滝といい、今もなお水音を絶やすことはありません。池は臥龍池とも心字池ともいわれています。それは「心」の字の形からでなく、禅寺の池をこのように解釈したものでしょう。池にかかる橋は無際橋と呼ばれ,中央に屋形が設けられています。
 構成の巧みさ、視界におさまる広さ、大きさがほど良く、うまく調和がとれています。池の周囲のどこからの景観も素晴らしく、まことに東海一の名園たるに恥じません。


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